劇症肝炎との闘病生活


2009年の3月31日に劇症肝炎(100万人に一人で難治性の病気に指定されている)にて

杏林大学病院に緊急入院し10日間の意識不明の状態のち3ヶ月間の血漿交換

(けっしょうこうかん)と人工透析そして、抵抗力の低下により院内感染でさらに1ヶ月

入院(抗生物質ザイボックスとクラリスの投与)と6ヶ月の自宅療養が続いてます。

運がよかったのは、生体肝移植をせずにすんだことです。

現在も筋肉の衰えや入院中の寝たきりによる体の硬直と腰痛に悩みながらリハビリに努める

毎日です。

劇症肝炎からの復帰体験は数が少ないみたいなので、僕の体験を載せることにしました。

今月の1月7日に内科循環器の診察で貧血と腎機能の障害はあるものの社会的には

復帰できるまでになりました。

しかし、院内感染からの腰痛がひどいため会社への復帰はまだできません。

47歳での入院で死にそうになり人間50年とはよく言ったものだとつくずく思います。

皆さんは、健康について考えたことありますか?

1月14日今日、杏林大学の整形外科を受診しました。椎間炎の診断。

1月19日MRI検査を行い状況の確認。容態は介抱に向かっているので

もう1ヶ月安静にして様子を見てみましょうとのこと、少し不安である。

2月あれから1ヶ月たち徐々に痛みが引きかけてきました。しかし社会復帰は出来ておりません。

入院闘病で1年近く休んでおります。すると会社では復帰出来ないなら辞めてもらうしかないと

遠回しに言ってきます。それも某JJ大学の教授を務める方(理事長)です。

上司といえど言っていいこと悪いことがあると思います。今は堪え忍ぶしかありません。

渡る世間は鬼ばかりとはよく言いますが

4月2日何とか社会復帰できるところまできました。復帰まで1年かかりました。

5月に入り順調に回復しております。

しかし、このときは次の病魔が忍び寄っていることを知るよしもありませんでした。

感染症は体の中で密かに、その時を待っていたのです。

6月9日、社内で突然、気分が悪くなり早めに帰宅、その夜に発熱と嘔吐

6月10日 症状収まらず、さらに下痢が始まり、近くの内科診療所が休みであったため

杏林大学病院の緊急外来を受診、色々な検査の結果、病名 感染性心内膜炎 と判明

すでに、心不全を起こしていたため、6月13日に緊急の弁置換の手術を行い

その後、6週間の抗生物質の投与で退院し社会復帰のためリハビリ中です。

劇症肝炎、入院中の下血、感染性心内膜炎と3回も死にそうになりましたが生き残りました。

2009年入院してから2年がたち、ようやく少し元通りの体になりつつあると感じるようになりました。

2012年、入院から3年がたち、ようやく普通に暮らせるようになってきた。


最終更新日: 2012/06/17